魔女見習の手帖

33歳、魔女見習は婚活中

初めて適応障害になった地獄の日々を思い返して話します

f:id:konmajo:20211026183427j:plain



初めて適応障害になった地獄の日々を思い返して話します

この記事はこんな人におすすめ!
適応障害になった人の記録を知りたい人」


目次

 


はじめに

みなさんこんにちは!魔女見習です。
今日は私が過去に経験した「適応障害」について、思い出しながら書きたいと思います。
皇室の方が患ったことでご存じの方も多いと思います。
先日ある女優さんと男性アイドルが適応障害になってしまったとニュースで見ました。きっとファンの方も心配だったと思います。
ニュースにならないだけで、今現在苦しんでいる人もいるかもしれません。
私の経験を書くことによって適応障害への理解につながるのではと思いました。
ちなみに、私は医療関係者ではありませんので、決して自己判断せずに、身体が不調な時は病院で診察を受けてくださいね。

それではどうぞ!


適応障害とは?

まずはじめに、適応障害とは何か。

www.e-healthnet.mhlw.go.jp


精神疾患です。主にストレスが原因とされています。うつ病と似ているといわれることもあります。
私の場合は、職場のストレス、婦人科疾患のストレス、手術のストレス、などが重なったことが原因だったと思います。
以下、当時を振り返りながら詳細を書いていこうと思います。

 

適応障害になる前

私は当時企業に勤める社会人でした。
仕事はそれなりに大変、先輩と後輩の板挟みになりながら業務量も多いようなポジションでした。
上手くいっていたはずの職場の人間関係も、ある一人の先輩の気に障る地雷を踏んでしまった事により、その先輩からは挨拶も無視されるようになり、その先輩が同僚と会話している間は私は蚊帳の外。
仕事=つらいという状態で働いていました。

丁度そんな時に、健康診断にひっかかってしまいました。精密検査をすると、婦人科疾患が見つかりました。手術をしなくてはいけないということになり、かなり落ち込みました。
当時は彼氏もおらず、いつか結婚妊娠も望んでいたのに、婦人科疾患だなんて。地元の同級生は親に結婚出産の報告をしているのに、私は婦人科疾患の手術の報告をしないといけないなんて。と、かなり絶望したのを覚えています。
(実際には手術は成功し、お医者さんには妊娠は可能だと言われたので、結果的には大丈夫なのですが、それでもかなり自信を無くしました。今現在も、疾患歴と加齢によりちゃんと妊娠できるのかどうかはかなり不安があったりします。)


ネガティブ思考

仕事がつらい。結婚して出産したいのにそれもできないかもしれない。
とにかく、いろんなことが重なったタイミングでした。
寂しい気持ち、つらい気持ちに押しつぶされそうになりながら、不調な身体にむち打ちながら仕事を頑張り、一人暮らしの生活をなんとか続け、放心状態でとぼとぼ歩きながら病院に検査に通う日々。

親には泣きながら報告をし、手術の段取りや手伝いを相談し、頼れる人が親しかいない自分のふがいなさなどを感じたり。
友人にも打ち明けたりもしましたが、みんな自分自身の暮らしがあるし、仕事も忙しいし、遠方に住んでいる事もあったので、結局「大丈夫?」などの、気づかいの言葉のみになってしまうんですよね。
勿論それで充分だし、私が逆の立場だったら同じことをしただろうし、ありがたいことなんだけど、親身になって付き添ってくれる彼氏や友人がいない愚かな自分、と考えてしまって、それでまた落ち込んでいた。
病気の時に彼氏が付き添ってくれて、等の話を聞くだけで、彼女は愛されているんだな。うらやましいなと感じていたり。

友人関係についても、感じることがありました。自分が元気で調子のいいときは楽しいから人が集まるし、友人も増えた気がしたけど、病気を打ち明けて辛い、というときには友人が減ったような感覚がありました。
楽しい人生を送っている自分に、つらいと送ってくる友人がいるとちょっと億劫なことってありますよね。
自分までネガティブに引っ張られちゃうので、明るく励まして深く関わらない、そんな対応をする気持ちもわかるのですが、実際にされるとつらかった。
「大丈夫だよ、早く元気になってね!」と励まされても、私の気持ちわかってくれない、と感じていたし、身体の辛さも知らないで、病気を軽く見られている、という感覚で苛立ちすら感じていました。


ついに婦人科手術

仕事は相変わらずしんどいし、具合悪いのに先輩達は仕事を助けてくれないし。
体調が悪いというと、「不摂生だからだよ、ちゃんと健康的な暮らしをしないと」とか言われたのもつらかった。
実際婦人科疾患の原因は不明だし、日々の生活よりも仕事のストレスが原因だろうと思うのだが、自分のだらしない行いのせいだと言われてつらかった。
婦人科の疾患ということで「男関係がだらしないから」とクスクス嫌味を言われている感じ。被害妄想だと今はわかるが、当時は職場に居場所がなく、追い詰められていました。

そしてついに手術。手術も本当に嫌だった。
古い大きな病院でしか手術できないと言われ、検査も痛いし、手術も痛いだろうし、入院もしたくなかった。
けど、しなきゃいけない。選択の余地はない。とにかく何もかもつらかった。
親に付き添ってもらい、手術はなんとか成功。
肉体的な痛みがこの時は辛くて、それでも親がいてくれたので、かなり助けれていました。
それなりに女としての絶望感は相変わらず感じていて、同じ病室の女性のもとに、旦那さんと子供がお見舞いに来ていて、その笑い声をうずくまって一人で聞いていた時は、身勝手につらさを感じていた。
私のもとにはお見舞いに来てくれる彼氏も友人もいないんだな。
まあいいや、3日間お風呂に入れてないし、超絶臭いだろうし、入院のために髪もショートにしたから寝ぐせもすごいし、誰かに会える状態じゃないし。
幸い窓に面した部屋だったので、入院中はずっと窓から鳥の群れを見ていました。

一応入院は一週間で、1か月の自宅療養を言い渡されました。
傷口が痛むからヨボヨボと歩き、体力も落ちてるからお風呂に入るだけで疲労困憊。食料品の買い物をすれば荷物が重すぎて力を入れたら傷口が痛む、けれど親がずっと付き添ってくれていたのでなんとか生活できていました。

この頃は、身体がしんどいけれど親の支えもあり、なんとか生活はできていたし、まさか自分がこの後適応障害になるとは思ってもいませんでした。

 

続く!


続きはこちら!

konmajo.hateblo.jp